50代でも20代のときのような輝きを放つ女優・山口智子さん!
唐沢寿明さんと結婚28周年を迎え、今もなおおしどり夫婦で有名ですが、子供を産まない人生を選択されています。
でも、そこには山口智子さんの幼少期の生い立ちと家族の絶縁が関係していると言われています。
今回は山口智子さんの生い立ち、家族の絶縁状態とは何だったのか?彼女の結婚・子供・仕事について深堀りしてみました。
山口智子が子供を持たない理由はズバリ?
山口智子のwikiプロフィール
=出典:ライブドアニュース=
山口智子のプロフィールを見てみましょう。
山口智子さん、もう58歳なんですね!
時の流れは早いなぁ…
1990年代に
山口智子と唐沢寿明夫妻が決めたことだから
=出典:ターシー.com=
おしどり夫婦なのになぜ2人は子供をもたない選択をしたのでしょうか?
山口智子さんと唐沢寿明夫妻が、共に
「子供をつくらない」
という選択をしたからです。
=出典:スポニチ=
1995年に、唐沢寿明さんが32歳、山口智子さんが31歳の人気絶頂期に結婚をされています。
結婚して数年は、不仲説や不妊説などが囁かれていましたが、なぜ山口智子さんは「子供をつくらない」という選択をしたのでしょうか?
それでは、次にその詳細を説明していきます。
美男美女カップルなので、かなり可愛い子供が生まれただろうに…
山口智子が子供を持たないのは生い立ちのせい?
山口智子の生い立ち
=出典:アサジョ=
栃木県にある創業120年の老舗旅館の長女として生まれた山口智子さん。
夫と死別し、女手ひとつで旅館を切り盛りしてきた
祖母、両親、3歳年下の妹の5人家族
でした。
旅館業は本当に仕事が忙しく、両親は朝から晩まで働き詰めの毎日だったため、遊び相手はいつも祖母。
智子さんが小学1年生の時、一家に大きな問題が起こります。
父親の浮気で両親が離婚。
母親は娘たちを連れて長野県の実家へ戻ることになりました。
ところが、智子さんは祖母・禮子さんのことが忘れられなかったのでしょう。
ある時、1人で電車を乗り継いで長野から栃木の父方の実家に帰ってきてしまいます。
この時期がいつかのかは不明ですが、智子さんがまだ小学生のころかもしれません…
子供ながらお祖母ちゃんに会いたい一心だったのね
家族との絶縁
=出典:マイジツ=
その後、母親と祖母との話し合いで、山口智子さんは実父の実家で暮らすことになったとか。
そして、祖母のことを自然に…
山口智子
「お母さん」
と呼ぶようになったそうです。
母親は、娘・山口智子さんがお祖母ちゃんに会いに行ったことが自分を選んでくれなかったと卑下したのかもしれません。
これを機に母と妹とは絶縁状態になってしまいます。
父と母の子供なんだから絶縁までしなくても…
家族離散は、山口智子さんの人生に大きな影を落としていたのでしょうか。
家業「女将」への重圧
=出典:女性セブン=
幼少時から、家業を継いで女将になりなさいと言われて育った山口智子さん。
大好きな祖母の期待に応えたいと思いつつ、これが本当に自分のやりたいことなのか、常に葛藤があったといいます。
祖母に会いに行ったときは家業のことまで深く考えてなくて…
でも、お祖母ちゃんと栃木の実家で暮らし、年齢が増すにつれてその重圧はいっそう重くなったようですね。
ある雑誌のインタビューでこんなことを山口智子さんは答えています。
「ほどほどに仕事をしたら、田舎に帰って、お見合いして結婚して、実家の旅館を継ぐように」という暗黙のレールが敷かれていた。
=引用:withOnline=
後悔しない人生を自分で選びたいと思った智子さんは、故郷から逃れるように東京の短大へ進学し、
在学中にモデル活動をキッカケに女優デビュー
を果たします。
=出典:オリコンニュース=
山口智子
田舎に帰りたくなかったから芸能界入りした
と、彼女本人も「不純な動機」で女優になったと述べています。
両親の離婚、母親と妹との絶縁、家業の重圧という壮絶な生い立ちから…
血の結びつきというものを全く信用していない。子供がいる人生とは違う人生を歩みたい。
=引用:東スポ=
ということを、唐沢寿明さんとの結婚後に山口智子さんはハッキリと語っていました。
山口智子は家族離縁で養子縁組?母親3人?
祖母と養子縁組
=出典:Cpress=
祖母と父親が営んでいた『鯉保』は、江戸時代から続く老舗旅館です。
若女将がいない現状を心配した女将の祖母が、山口智子さんに旅館を引き継がせるべく
20歳の時に養子縁組
をしたのです。
お互い大きな決断をしたのね
山口智子さんも完全に、家業の跡継ぎがもう決められてしまった状態になったのね。
となると、お婿さんを迎えないといけないですが…
これまた人生の岐路に立たされた20歳の山口智子さんだったんですね。
実父が再婚
=出典:オリコンニュース=
女将になるべくして育てられた山口智子さん。
1995年唐沢寿明さんと結婚して程なくした頃、実父が再婚をしました。
このことによって、父親の再婚相手が老舗旅館『鯉保』の若女将となり、山口智子さんは女将の呪縛から解き放たれたのではないでしょうか。
やっと女将の重圧が取れてほっとしたんじゃない?
家業の老舗旅館『鯉保』廃業
=出典:旅館.com=
山口智子さんの肩の荷が下り、ほっとしていた矢先に…
120年も続く老舗旅館『鯉保』が廃業することになりました。
廃業の理由は、
2005年に父親の急逝
が原因だったのです。
再婚相手の女性が女将として、祖母から受け継いで仕事を切り盛りしていたはずですが、長年続いた『鯉保』は旅館を廃業することとなったのです。
3人の母親
=出典:スポーツ報知=
山口智子さんには、結婚後、実母、祖母でもある養母、そして父親の再婚相手と3人の母親がいたことになります。
3人の母親だなんて…あまり想像ができないですよね。
複雑な家庭環境で育てられた山口智子さん。
視聴率の女王の裏には、そんな壮絶な環境があったとは…
思いもしなかったです。
人の価値観や考え方は家庭環境が大きく起因してるのかも
山口智子の人生最大の悲しみ
=出典:TBSテレビ=
山口智子さんにとって、「血のつながりなんて信じてない」と言っていた最愛の継母、つまり祖母が、
2016年逝去したのです。
山口智子さんが51歳の時ですね。
そんな彼女の人生に転機が訪れたのは’16年6月、彼女が51歳のとき。最愛の祖母・禮子さんが96歳で亡くなったのだ。祖母の逝去について、これまで彼女が公の場で語ることはなかった。
=引用:ライブドアニュース=
葬儀の喪主は山口智子さんが務め、唐沢さんも参列したようです。
お骨を抱く智子さんはとても寂しそうでした
やはり、いつでも自分を守ってくれていた祖母の逝去は、
故郷への喪失感が強すぎて、いまだに生まれ故郷の名前を堂々と言えない虚しさがある
=引用:週刊女性=
と語っていた山口智子さん。
時間が解決してくれて、今までの思い出が走馬灯のように全身で受け入れられる時が来ると思います。
だから、いつか故郷をすんなり受けとめられる時がくるといいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。