藤島ジュリー景子の父親は藤島泰輔!長者番付常連でジャニーズ初期に経済的支援⁉

藤島ジュリー景子 父 藤島泰輔 小説家

藤島ジュリー景子社長は、ジャニーズ事務所の性加害問題で退任を余儀なくされそうです。

そんな彼女の父親は小説家の藤島泰輔さんです、つまりメリー喜多川の夫ですね。

ジュリー景子社長の父親は小説家という肩書でありながら、上皇のご学友で財政界でも顔が利く方だったと言われています。

今回は、そんな偉大なジュリー景子社長の父親・藤島泰輔氏について深堀りしてみました。

↓↓メリー喜多川の若い頃は瞬間湯沸かし器⁉凄腕マザーは家族を守るべく悪人を演じた⁉↓↓

目次

藤島ジュリー景子の父親は藤島泰輔!

父親・藤島泰輔のプロフィール

            =出典:ジャニーズ全巻=

まず、ジュリー景子さんの父親のプロフィールを見てみましょう。

・氏名:藤島 泰輔(ふじしま たいすけ)
・生年月日:1933年1月9日‐1997年6月28日(享年64)
・出身:東京府東京市(麹町有楽町)
・両親:藤島敏男・孝子(継母:紀子)

ジュリー景子さんの父・藤島泰輔さんは、昭和8年に

日本銀行員の藤島敏男さんと孝子夫妻の長男

として生まれました。

日本銀行といえば、政府の銀行、銀行の銀行といった立ち位置なので、金融機関の中枢を担っていた偉大な父親だったのでしょうか。

日本の金融機関トップの銀行員として働いていた父だったのね

部署までは不明ですが、政府系に近い業務をされていたかもしれません。

大都会の東京のど真ん中出身とは…

有楽町辺りは今でも日本一土地が高い地域なので、それなりの暮らしをされていたと推察されます。

それにしても、ジュリー景子さんはお父さんにソックリ!

藤島ジュリー景子の父親・藤島泰輔の学歴

      =出典:学習院初等科HP=

次に藤島泰輔さんは、初等科から大学まで

学習院

一本で勉学に励まれています。

小学校から大学まで学習院だなんて…天皇家や資産家の御曹司みたい

1955年、22歳で学習院大学/政経学部を卒業しています。

学習院高等科では、今上天皇(第125代天皇)とご学友だったことは有名な話のようですね。

皇太子と学校生活を共にした仲なんですね

藤島ジュリー景子の父親・藤島泰輔の経歴は新聞記者・小説家・馬主

ジュリー景子の父親・藤島泰輔さんは3つの顔を持つ文藝に長けた方だったようです。

経歴①新聞記者

        =出典:ダイヤモンド社=

学習院大学を卒業後、新卒で入社した企業は、

東京新聞(現在:中日新聞東京本社)

の社会部記者だったようです。

新聞記者をしながら、執筆活動も同時にこなしていたパワフルな性格だったのですね。

元々本が好きで文才もあり、且つ、社会の動きや情勢を聞いたり、見たりするのが好きだったんでしょうか。

1966年、入社から11年後の33歳で「東京新聞社」を退職しています。

作家専業になった

退職後は、在日フランス人という設定の「ポール・ボネ」名義で多数の本を執筆しています。

経歴②小説家

       =出典:ジャニーズ百科事典=

そして、次に藤島泰輔さんは、1956年、入社して1年後、

小説『孤獨の人』で作家デビュー

しています。この小説は、

         =出典:三笠書房=

・学習院時代の上皇明仁(当時は皇太子)と「ご学友」たちを題材
・ヴァイニング夫人への反発やエピソードなど

が盛り込まれている作品のようです。

ヴァイニング夫人とは、アメリカの司書・作家なんですが、学習院で彼女が教鞭を執っていた話から先生への不満?なども書いていたのでしょう。

なお、学習院の先輩後輩で親しかった三島由紀夫氏は藤島さんの8歳ほど年長だったとか。

文藝では有名な三島由紀夫氏は、『孤獨の人』を評して

うますぎて心配なほど

と書いてその文才ぶりを激賞していたようです。

そのため、この小説は映画化も実現し、かなりの人気作品だったことが分かります。

経歴③馬主

      =出典:競馬データベース=

また、藤島泰輔さんは、大の馬好きで…

ランニングフリー

というサラブレッドの競走馬の所有者でした。

1980年代後半から1990年代初頭にかけて中央競馬のGI戦線で息の長い活躍を続けた名馬だったようです。

他にも多数の馬を所有し、長者番付の常連で資産家

としても有名だったのです。

・4億を稼ぐ競走馬も保有
・所有馬の中には「ヒカルゲンジ」という名前の馬も所有

していたという興味深いエピソードもありました。

私たちでは考えられないほどの大富豪であったと推察します。

藤島泰輔さんが亡くなった後は、娘のジュリー景子さんが馬主資格を取得し、競走馬の所有権を引き継いでいるようです。

          =出典:草思社=

また、作家冥利に尽きるのか、こんな『馬主の愉しみ』なんて本まで出版されています。

藤島泰輔さんは心から愉しみの1つとして生きていたんですね。

藤島ジュリー景子の父・藤島泰輔はジャニーズ事務所支援者だった?

父・藤島泰輔とメリー喜多川の馴れ初め

         =出典:明星=

藤島泰輔さんは、メリー喜多川さんが経営していた『スポット』というバーの常連客だったそうです。

ですが、当時、藤島泰輔さんは既に結婚していたんですが、いつしか不倫関係になったとか。

『孤獨の人』後の藤島泰輔は、俳人・高浜虚子の孫娘にあたる女性を結婚するが、当時、バー経営のメリー氏と知り合い、不倫関係になったと言われる。

=引用:BIZジャーナル=

その後、1966年メリーさんとの間に娘・ジュリー景子さんが誕生します。

メリーさんは未婚の母としてジュリー景子さんを出産しますが、ジュリー景子さんが6歳の時、

         =出典:週刊女性=

藤島泰輔さんさんはメリー喜多川さんと再婚します。

不倫からの略奪婚に成功⁉

とはいえ、未婚で出産を決断していたメリーさんなので、既婚の藤島泰輔さんにすがることなく強い女性だったと感じます。

父・藤島泰輔はジャニーズ事務所に資金をバックアップ

       =出典:文春オンライン=

大富豪だった藤島泰輔さんは、ジャニーズ事務所の草創期に資金を援助してくれた重要人物だと言われています。

ジャニーズ事務所はもともと、ジャニー喜多川氏とメリー喜多川さんの姉弟二人三脚で立ち上げた会社でした。

根っからのクリエーターのジャニー氏を支えて、メリー氏は対外的な交渉も担当した。

=引用:文春オンライン=

なので、

弟・ジャニー喜多川:タレント発掘の目利き・育成、デビュー
姉・メリー喜多川 :経理、テレビ局・雑誌社との交渉、経営全般

という役割分担でジャニーズ事務所を切り盛りしていました。

      =出典:文春オンライン=

こんな状況下で旦那さんになった資産家・藤島泰輔さんが、経済的にバックアップしてくれたと言われています。

もともと大富豪のお家柄でもあり、エリート出身!

さらには財政界や文芸界の分野にも幅広く人脈を持つ資産家の藤島泰輔さんでした。

まさにジャニーズ事務所は、藤島泰輔さんの資金力や人脈によって

「ジャニーーズ帝国」とまで命名される

エンターテインメント界のトップに君臨できたといっても過言ではないかもしれません。

藤島ジュリー景子の父・藤島泰輔への世間の反応

         =出典:ジャニーズ百科事典=

SNS上ではジュリー景子の父・藤島泰輔さんについて色々発言しています。

藤島泰輔さんはメディア・文壇に顔が利く人物

戦後の政治、喜多川家、藤島家の関わりだなんて…

さすが資産家・富豪で皇室とも交友関係のある重鎮だったことが分かりますね。

ジャニーズのガリバー企業に成功したのは藤島泰輔の暗躍!

ジャニーズと政治の闇?にも発展している内容ですね。

メリーの夫・藤島泰輔の力が創世期の支援に大きく左右してる

上皇とご学友、新聞記者でありながら、資産家だったことは有名な話だったようです。

ジャニーズ事務所は今、大きな転換期を迎えています。

どんな結末になるのか…

最後までお読みいただきありがとうございました。

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