メリー喜多川さんは、ジャニーズ帝国を巨大にした女帝と言われています。
常に真向から勝負して、弱音を吐かないアグレッシブなメリー喜多川の若い頃は瞬間湯沸かし器だったとか。
何がそうさせたのか、メリー喜多川さんの若い頃、生い立ち、女帝といわれは半生を覗いてみたいと思います。
↓↓藤島ジュリー景子の父親は藤島泰輔!長者番付常連でジャニーズ初期に経済的支援⁉↓↓
メリー喜多川の若い頃
メリー喜多川のwikiプロフィール
=出典:女性自身=
メリー喜多川さんのプロフィールを見てみましょう。
戦前・戦後の貧しい時代を経験しているメリー喜多川さん。
昭和初期に女性がアメリカの大学で勉強するなんて…
相当な野心と希望と躍動感たっぷりのアメリカに視点を置いていたことが、メリーさんの生き字引になっていたんでしょうね。
女性は学校なんて不要の時代だったのにね…
メリー喜多川の生い立ち
メリー喜多川さんは、高野山真言宗米国別院の僧侶
喜多川諦道の長女
アメリカ・ロサンゼルスで誕生。
その後、喜多川一家(父、母、ジャニー喜多川を含む弟2人)は日本に渡り大阪市で暮らすも、母親が逝去。
第二次世界大戦が始まると、子供たちだけで和歌山県に疎開し、メリーさんは知り合いのつてで
大阪松竹少女歌劇団の通訳を務めたりしていました。
さらにメリーさんはアメリカに渡米し、
ロサンゼルス・シティー・カレッジ
に入学・卒業を果たします。
学費を捻出するために、ベビーシッターをしながら苦学生のような生活をしていたようです。
その後、弟・ジャニー氏は21歳の1952年に、メリーさんは30歳の時、日本に再帰国します。
メリー喜多川の経歴はバー経営・ジャニーズ事務所の実業家!
経歴⓵バー経営
=出典:ジャニーズ百科=
メリーさんはアメリカから帰国後、四谷三丁目にて
カウンターバー「スポット」
を開業し、事業家の道を歩き始めます。
この頃からメリーさんは、テレビ局やメディア関係の人などとの繋がりもあり、人脈も広かったと言われいます。
女性でも物事ハッキリ言いながらどこか惹きつける何かがあったんでしょうか…
そして、バーに常連客として来ていた男性・藤島泰輔氏と出会い、藤島ジュリー景子氏が誕生します。
経歴②ジャニーズ事務所をジャニーと創設
=出典:プレジデント社=
弟・ジャニー氏が31歳の1962年6月、
芸能事務所「ジャニーズ事務所」
を立ち上げ、メリーさんもバーを閉店して事務所の経理を担当します。
ジャニー氏が初めてプロデュースした「フォーリーブス」のスタイリストなども受け持ったそうです。
という感じで役割分担しながら二人三脚で長年携わっていました。
兄弟でお互いの得意分野で業務を全うし、60年間もジャニーズ事務所を切り盛りしてきた功績は素晴らしいです。
2人の努力と才能と人脈が功を奏した
と言っても過言ではないと思います。
メリー喜多川は瞬間沸かし器⁉みたいだった
メリー喜多川の性格
=出典:ジャニーズ百科=
メリー喜多川さんは、戦前・戦後中にアメリカでの生活・文化・環境がベースになっていたことから次のような性格だったそうです。
・アメリカナイズされた(敵か味方かがハッキリ)
・古風な日本人女性
・戦前、前後の激動期を苦労して生き抜く強さ
・人に弱みを見せない
・裏切者は許さない
・弟、娘、「うちの子」というタレントには深い愛情注ぐ
イエス、ノーがはっきりしていて、苦労していいても弱音は吐かない強さと人情深さは天下一品だったのでしょう。
鉄の女と言われたマーガレット・サッチャーみたい!
イギリス国家をガラリと変革させた女性なので、比較対象が違うかもしれないけど、似た匂いがします。
夫・藤島泰輔の妻・メリーへの印象
=出典:ジャニーズ百科=
また、夫の藤島泰輔さんは生前、妻・メリーさんについて
「瞬間湯沸かし器のように激しい性格だが、どんなに苦しいときも弱音を吐かない。アメリカ人のように考え方も合理的」
=引用:サンスポ=
と彼女を褒めていたそうです。
「瞬間湯沸かし器」と揶揄するところが面白いですね…
感情が波があるけど、弱さは見せずに物事を合理的に片付ける性格は夫としても認めていたようですね。
メリーさんの性格の全部に惚れた旦那さんぽいですね
メリー喜多川がジャニーズ事務所を守り巨大化した⁉
ジャニーズ帝国
=出典:週刊女性=
1966年に、姉・メリー喜多川さんと弟・ジャニーズ氏で「ジャニーズ事務所」を創設し、
「ジャニーズ帝国」
と言われるまでに大成長した企業になりました。
そして、その功績には約60年間に及ぶ「女帝」と言われたメリー喜多川さんの剛腕ぶりな経営手法だとも言われています。
もちろん、弟・ジャニー氏のアイドル発掘する才能と能力があってこそのジャニーズ事務所ではありますが、
長年、副社長の座で
・大手メディアや出版社
・一般企業や広告代理店など
・映画や舞台の出演
への交渉・営業はメリーさんの力量だそうです。
夫・藤島泰輔がジャニーズ事務所に経済的バックアップ
=出典:ジャニーズ百科=
ですが、その一方でメリーさんの才能や人脈を広げる立役者、夫・藤島泰輔さんの存在も大きかったといわれています。
メリー喜多川さんが経営していたバーの常連客が藤島泰輔さんでした。
そして、既婚者の藤島泰輔さんと内縁関係になり、彼の離婚成立後の1972年に2人は結婚しています。
ですが、実は藤島泰輔さんは、
・初等科から大学まで学習院
・ご学友に上皇天皇を持ち
・新聞記者の傍ら小説家
・日本銀行員の父を持つ高貴なお家柄
・都内の高級マンション、海外にも別宅
・何頭も所有する馬主
の男性でした。
また、実家が資産家でもあり、毎年長者番付は常連だった大富豪という一族のご子息だったとか。
そのため、メリー喜多川さんが弟・ジャニー氏と立ち上げた「ジャニーズ事務所」の草創期には
=出典:ジャニーズ百科=
夫・藤島泰輔に資金援助をしてもらった
ことが、ここまでの大帝国に成長できたと言っても過言ではないと囁かれています。
他のビジネスでも資金があるかないかでその後の未来は変わるよね
まさに、メリー喜多川さんは藤島泰輔さんで出会ったことが運命の分かれ道だったのでしょう。
強運の持ち主メリーさんです。
メリー喜多川が家族(ジャニーズ)を守るべく悪人を演じた?
メリー喜多川のオキニ・東山紀之の弔事
=出典:文春オンライン=
メリー喜多川さんが亡くなった後、オニキだった東山紀之氏が「忘れられない言葉」として
私はタレントを守るためなら、いくらでも悪人になります。
=引用:文春オンライン=
とメリー氏がタレント達に告げたことがあったとか。
この時、誰もが異口同音に
・厳しい人
・良き理解者
・優しい母親
・愛情深い
・細かな心配りができる
などとジャニーズタレント達は言ってます。
これもひとえに、メリー喜多川さんの厳しい中にも愛情や優しい心を持ち得ているというカリスマ性があったのでしょう。
また、「ジャニーズ事務所」はファンあっての企業だと、メリーさんはファン思いなことも有名な話のようです。
メリー喜多川は弟・ジャニーをかばい続けた
=出典:メリー喜多川画像=
今、問題になっている「ジャニー氏の性加害疑惑」が報道されています。
創業以来ジャニーズ事務所の最高権力者だったメリー喜多川さんは、
「一貫して否認する態度を貫いていた」
と再発防止チームから報告を受けています。
などと、指摘をされています。
こちらの報道でも同じようなことを言われています。
メリー喜多川氏は少年加害を知りながら徹底的に隠蔽を行った
メリーさんとしては、弟・ジャニー氏が否定してて改めようとしないことに諦めだったのでしょうか。
弟は病気!と知りながら、結果として放置する形となり、外部に対してはジャニー氏を守り切るために隠蔽を図ってきたと言われています。
まとめ:メリー喜多川の若い頃は瞬間沸かし器⁉凄腕マザーは家族を守るべく悪人を演じた⁉
メリー喜多川の若い頃は瞬間沸かし器⁉凄腕マザーは家族を守るべく悪人を演じた⁉について
・メリー喜多川は、最高権力者であり、ジャニーズ帝国を作った女帝
・アメリカを行き来しながら価値観を磨いた
・弱音を吐かず強い精神力がある
・厳しくもあり、よき理解者で愛情たっぷりの女性
・瞬間沸かし器のような感情豊かだけど古風な日本女性
・大富豪の藤島泰輔氏と出会い、人生大きく変わる
・我が子(タレント)を守るためなら悪人にもなると名言
・弟・家族・ジャニーズ事務所をとことん守り尽くした
メリー喜多川さんは、生い立ちや生き様、ジャニーズ事務所創設から現在まで…
色々深くみてみると、昭和初期から平成、令和に渡りバイタリティ溢れる素敵なメリーさんに感じます。
まだまだ難題が山積みのジャニーズ事務所ではありますが、遠い天国でどんな表情で見ているのか聞いてみたいものです。
最後までお読みいただきありがとうございました。